執着を手放す

「執着」
何かに、こだわり離れられない感情。

スパッと忘れられない、払っても払ってもまた、とらわれる感情。
なくすには、どうしたらいいのかと思う。
そんな生優しいものではない。

長い間、何年も、何十年も、そんな感情が支配している。


ものの本には、
「自分は、そのことに執着しているんだなあと思う」
笑っちゃえ、などとというような解決法が、書いてある。
どう考えても、そう生優しいものではない。

何にとらわれている?

自分をもう一人の自分が見る。
声に出して言ってみる。
書いてみる。
たくさんたくさん。

何に執着しているのかに気づくこと。

彼や彼女への想い。
自分のプライド。
無くしたもの、お金を出しても、どうしても手に入らないものなどなど。


彼のどこが、何が、何にひかれるのか。
なんでそれに執着することになったのか。


そこから生まれた、苦しみをじっと見てみる。
それは、自分を形造ってきた大切なものともいえる。
ずっと、一緒にいたもの、簡単に捨てられないものだったんだ。



なんで、執着しているのか、その意味はなにか。
この苦しみは、自分をどうしようとして出てきたものか。
この苦しみの意味はなんなのか。
意味があって、執着していたんだから。


でも、もう苦しくて、限界にきた、その時、思う。
この苦しみを乗り越えたら何があるのか。
その先には、成長した自分、変わった自分がいるのか。


そして、執着しているものを、全うする、手に入れることに、希望が残されているのかどうか考えてみる。

希望が残されていて、可能性があるのなら、それに向かって努力する。
諦めないで、どうせだめだと思わないで、やり方を変えながら。

でも、冷静に見て
どう考えても、全く、希望がないなら、諦める。

諦める。諦める。
きっぱりと諦める。

大事なのは、「私はもう執着しない」と自分に向かって宣言して、行動する。
誰かに向かって、宣言する人がいたらそれも荒療治でいいかも。
執着している自分を見てみる。

なんて、嫌な存在なのだろうか。
そんな姿でいたくない。


物理的に仕掛ける。
離れる。
真っ直ぐなものを斜めにする。

ガラス窓を前にしたトンボは、そこしか見えない。
そこばかり、ぶつかっていく。

それとおんなじかもしれない。

こっちにも出口があるんだよ。
そんなことに気がつけばいい。


でも、その過程で、四苦八苦するのが人間。

結局そんなに、ぱっと切り替えられない。

人に話したり、
カウンセリングを受けたり、
意外に何気ないことで、今まで執着していたことへの見方が変わったりもする。
窓ガラスのトンボみたいに、抜け道が見つかるかも。


山に登ったり、
本を読んだり。
体を動かすといい。
夢中になるものを探していく。
人の話を聞く。講演会に行ってみる。
思いっきり何かする。
海外に出かける。


その間は不安定。
それは仕方がない。
無理に笑ったり、はらはら泣いたり。

あるいは、怒りの感情がでる。

そんなにぱっと手放せるものではない。
そして、いつの間にか、薄れていくのではないだろうか。。。結構長くかかるかも。

食事でなった病気は食事で治せるという。
それは、病気になるまでの年数と同じくらい治るのには時間がかかるという。


時間がかかるから、少しずつ少しずつ。

最後には、執着していたことの意味が解る時が来ると思う。
そして、そんな自分が、滑稽だけど、かわいいやつと思えたらいい。

乗り越えた自分を想像しながら。